戦火で焼失した店舗を再興し、再び営業を始めた頃。
茶店の雰囲気が伝わる一枚。
竹茗堂の初代・竹茗(山形屋庄八)は、茶道や歌道に通じる文化人でした。宇治に出かけた時、同地の茶が非常に優れていることに感銘を受けた竹茗は、天明の頃、安倍川上流の足久保が茶樹の品種改良に適していると考え、茶園を開きます。そして竹茗自身もここに庵を建て、長い歳月をかけて青仕立て煎茶の製法を極めました。今も残る足久保の狐石の碑は、竹茗の言葉を刻んだもの。200年以上も続く竹茗堂の歴史を物語ります。その研究心と熱意は現代まで脈々と受け継がれ、竹茗堂は静岡を代表する茶店へと発展しています。
昭和20〜30年代にかけて、オートバイ「陸王」に またがり、
伊豆半島まで販売に出かけました。
明治初期のモダンな輸出用茶箱ラベル。
清水港から大量の日本茶を輸出していました。
昭和初期の記念写真。
「ちゃっきり節」で有名な江戸小唄の市丸さんと店頭にて。